文久2年(1862年) |
三好喜八がイリコの製造を開始以後、明治20年までに10軒の業者が創業、この系譜が今の大網に引き続くこととなる |
大正初期~昭和初期 |
前述の有力経営者の系譜が大正初期、縛網をもって朝鮮東岸に通漁し、昭和初期には機船巾着網漁業によって朝鮮海域を舞台に活躍する |
昭和20年頃~ |
この頃には16統の巾着網の網元により、主に天日干しにより製造
組合を経由することなくそのほとんど全部を観音寺の5軒の業者に出していた |
昭和29年 |
燧灘の巾着網(全部で27統)の経営改善の為、パッチ網に転換開始
伊吹の16統のうち8統がこの年に転換 |
昭和33年 |
燧灘の8統がパッチ網に転換する |
昭和37年 |
この年より組合共販が開始、また魚群探知機の使用許可がおりる |
昭和38年 |
燧灘の巾着網の残る11統がパッチ網に転換、巾着網は姿を消す |
昭和42年 |
海底(送電)ケーブル設置(1,700kw) この年より乾燥機、フィッシュポンプの使用が開始される |
昭和43年 |
プラスチック船の導入が開始される。またエンジンの馬力が25馬力から45馬力に引き上げ |
昭和46年 |
県漁連の共販を委託(実務は組合で実施) |
昭和47年 |
この年より19統となる(マルジン、マルマ2統) |
昭和48年 |
県漁連との共同で共販を開始(特別会計2) |
昭和50年 |
電力増強(1次)、乾燥機の増設進むマルマが1統となり18統となる |
昭和51年 |
この頃より製氷施設の設置始まる |
昭和53年 |
電力増強(2次) |
昭和54年 |
エンジンの馬力が45馬力からの50馬力に引き上げ |
昭和57年 |
特認船の許可により運搬船のスピード化がなる
この年の漁期途中(6月中頃)、観音寺に仮設の共販所を設置、観音寺での共販開始 |
昭和58年 |
煮干集出荷場完成(5月)に伴い、他地区の共販も合同で開始する
経営安定、資源保護、漁業秩序の確立などを目的に香川・愛媛瀬戸内海パッチ網協議会を設立する |
昭和60年 |
この頃よりサイズ選別機の導入が始まり、品質向上に寄与 |
昭和63年 |
過去最高の取り扱いとなる、1漁協の取り扱いが九州地区全体の取り扱いを上回る
この頃より自動釜の導入が始まる
注:この時点より今の煮干生産の全容が整い今に至る |
平成2年 |
木曜休漁開始 |
平成5年 |
前年頃から不漁となり、愛媛県、広島県とともにイワシの資源管理型漁業の推進事業が始まり、卵、稚仔等の定期的調査が始まる |
平成16年 |
尾道地区の4社が新たに指定商社として加入
一太水産が廃業し17統となる |
平成17年 |
愛媛県、広島県とともに瀬戸内海系群(燧灘)カタクチイワシ資源回復計画(21年まで)に参画する |
平成18年 |
電子入札を導入し効率化を図る |
平成21年 |
伊吹いりこの地域団体商標の登録、認可に向け活動を開始 |
平成23年 |
9月30日「伊吹いりこ」地域団体商標登録 |
平成27年 |
県漁連との共同共販から組合単独開催の共販事業となる |